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そこはかとなく邪悪。

2006/08/08 [Tue] 13:59
「人間はときに底知れず愚鈍で邪悪になることがある。」

とある本で目にしてから、この一文が頭を離れない。
愚鈍と邪悪、という語感の強さに引っ張られ、ついついそっち側に思考が傾く。

「それ」を愛して失いたくないと念じてしまったときにも、人は愚鈍で邪悪になるのではなかろうか。
とかね。


「それ」というのには
他人、とか
財産、とか
記憶、とか
なにか自分と違うもの=他者
を当て嵌めて考えるものだと思っていたのだけど
それではどうにも解決が為されない。

なにか自分と違うものを保持して得られる愛情、とは
自己と他者を区別するラインの自覚による「絶対的自己存在感」なのではないのか。
自分の存在を保証する輪郭。
他者とは違う自分。
外側は他者であり内側は自分である。
ここにいる自分。
自分がここにいること。

それは当たり前に持ってる承認証なのに、自分ひとりでは見ることができない。
自分じゃないものが周りにないと、自分は見えない。
でもこれも、同じく当たり前なこと。
自然。

殴り合って、罵倒し合って、疑い合って、憎み合って、拒絶し合って、排斥し合って、殺し合って、捕食し合って、多くの真心を消し崩すような愚鈍と邪悪を表現しつつも、人はどうしようもなく生きている。これはもしかして恥ずべきことの一つなのだろうか、と明に暗に標榜しながら虚空を見つめて歩いている。この寂しさも、自分が立っていることに由来するならじゃあもう立ってなくってもいいや、と短見し座り込んでラインの存在を忘れようとしたりする。でもそれは仕方ないことなのかもしれない。とはいえ、どうしようもなく愚かになれる可能性を常に念頭に置いて、とクールに過ごすのは結構難しい。クールになれればそれで無事平穏が訪れるわけでもないのだ。
ただ、馬鹿馬鹿しいほど単に生きている自分を無為に認めてしまう方が、いいのだ。

だけど自分を断罪できる存在は非常に少ない。
その在り難さをもし知っているなら、とてつもない真実に繋がるはずだ。
それは古臭くもなく目新しいわけでもない。
というより、昔からあってこれからもあり続けるものだと思う。
その名には「正」も「異」も冠されないし、そうでないべきである。
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