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圧力問答。

2006/07/11 [Tue] 16:44
とある科目の、学生の授業感想メモ(兼・出席票)をチェック。
ストレスと身体の関係についての講義だったらしく、感想文には大学に入学してから感じたストレスについて述べているものが多数見受けられる(受講生は9割が1回生)。
レポート課題に追われる毎日で、とか
はじめての一人暮らしで、とか
友人関係や環境の変化で、とか。
みんな色々大変そうだ。
でも頑張ってね。

私が入学した当時(なんてもんのすごい遠い昔のことですが)、強烈にビシバシに圧倒的に辛かったのは、なんといっても「居る場所がない」ということであった。
感想文にも同じこと書いている子がいたけれど、大学には学生が常在できる教室などの場所がない。高校まではクラスごとに割り当てられた教室があって、朝登校するとその教室へ入り自分の机に着席するのが普通だ。とりあえず「行けば自分の定位置がある」のが普通なのが学校だったのが、大学になるとガラリと変わる。
食堂や休憩場所やらはあちこちにあり、教室だって空いていれば座ってたっていい。どこにいても学内なら構わない。けれど自分用の定位置というか拠点とする場所はない。
周りのみんなも同じ状況だから場所を定めずらうろうろしている。
つまり一日のうちで学校内で取り交わす人間関係というのはとても不安定であやふやであることが基準となる。
会う人が定まっていない。
別におかしなことではないけれど、基本とか拠点がない状態での不安定さは、やっぱり、新しい環境に入ったばかりの頃にはものすごい影響があったと思う。1年ほど経って、部活に参加したときそれがよくわかった。さらに、4回生になってゼミに入ってから、学生生活が最も楽しかった記憶がある。楽しかったというか、らくちんだった。
環境への慣れの問題と言えるのかもしれないけど。

感想文によると、家族とかのストレスを考慮する子も多い。
「お母さんは外で仕事が大変そうなので、家の中ではそれ以上ストレスがたまらないように接してあげたいと思います。」などとお書きになっていて「あら、ヤバイ」と思ってしまう。
そのような自己犠牲的な考え方は不幸を生むよ。
良くないよ。
自己犠牲が蔓延した家の中に登場するのは、バリバリカチカチに凝った肩のような「もう何をどうしたらほぐれるのか検討つかない、というか凝ってるのかどうかもわからない」あの感じに似た状況だと思う。たぶん。
そうなるともう、何がきっかけで犠牲が生じたのか思い出せなくなるのではないだろうか。
カラダはもちろんだけど、心も、長い間無理を強いるといつかは壊れる。
壊れた心はハカイダーと化し、自分だけじゃなくていろんなものを壊していく。
そんな気がする。

ストレスを感じるのは悪いことではない。逆に、全くストレスを受けない状態が続いても悪影響があるそうだ(感想文から推察)。
悪いのは、ストレスを受け続けても、「これはストレスじゃない」と思い見て見ぬ振りをすることだ。
あるいは「自分はストレスに強い人間なの」と我慢を続けてそれを「善」だと思い込むこと。
大切なのは、やってきたストレスには大過なく去ってもらうことだ。
そのためにはストレスの「お弔い」をしなくてはならない。

というところまで思いついてそろそろ時間が無くなってきたので続きはいつか。
しかし、全編ストレスについて綴られた文章を150人分ほど読むと、なんだか気分が悪くなってきたような気がするんだけど気のせいかしら。
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