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メモリング・ハイ。

2006/04/22 [Sat] 19:15
死ぬ直前の瞬間は、生きてることを最も感じる、特別なタイミングだと思う。

「生きてる実感」などはそう簡単に得られない。

それほど欲しいならやってみたらいいのに。獲得した次の瞬間には、全部無くなっちゃうけども。

若しくは人間として生きるのを止めるとか。

どのような希望も
拒否も
願望も
罵倒も

それを聞いてくれる他者は、人間である他にはありえない。

誰かの希望が「希望」だと解析してくれる存在は人間しかいない。

人は人の中でしか生き延びることができない。

だから、そんな実感をわざわざ獲りに行かずとも、よいのではないか?

そういうもんでもないのかな。

わからない。

ていうか、考えてもしょうがないと思った。

とりあえず備忘録。
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コメント

意識と無意識

話がずれてしまうけど、わたしの中で意識と無意識というか、そういうのがわりと大きなテーマになっています。無意識の努力に憧れているのかもしれません。希望や願望は意識していたい。欲望というか、自分が何を欲しがっているのかは些細なことも含めて意識して、戒めていたい。という理想☆ 欲しがっているときも投げ出してるときも、全力のときは生きた気がしてます。

藤原力丸さま

コメントありがとうございました。おっそいレスポンス申し訳なく思います。

>無意識の努力に憧れているのかもしれません。

これほんとに、あなたの言葉だよねえ。声がすぐそばで聴こえてくるみたい。うれしい。
無意識に実践している「欲」は確実にあると思うのです、だから、自分自身でも訳が分からない言動があってもそれは、あきらめるというか、まるのまま認めてあげないとだめなんだろうな。ってよく考える今日この頃。
お元気でしょうかー?

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