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マッピング・ハイという方法。

2005/12/11 [Sun] 22:41
こちらに心温まるお言葉を数々いただき、身も心も躍り出さんばかりの心境であるいま現在。
その中で、また色々と思い出すことがあった。
面白い。

そうして、納得したり感動したり発奮したり。
こういうのフィードバック現象っていうんだろうか。違うかな。
出して、受け取って、そこからまた出す。
そしたらまた新しい「受け」が生まれるのだ。
そういや内田先生の御本やブログの中に「贈与」についての考察がよく出てくる。
「他者にものを贈るという行動様式は、人間を人間たらしめた原初の行為」だと。
贈るという行為自体が単に「面白かった」のがその理由であろう、と。

この話についてはまたいつか。

そうだ。
飾り棚のディスプレイは本当に色んなことの勉強の積み重ねだったなあ、と走馬灯がちらつくよというお話。
そこで覚えたことのひとつが、
「無い袖は振れない」。
いえ。ちょっと違う。
「自分が出力できるのは自分の中に在るものだけ」
という現実的事実だった。
その「在るもの」はそれ以上でもそれ以下でもない、という現実。
そして、私は何にも持っちゃいないただの小娘だったんだ。という真実。

技術もノウハウも知識も実績もない。ただ、ご縁とタイミングと周囲の方々のご厚意にべったし甘えさせてもらったおかげで、12回分の閃きが訪れてくれたのだ。
としか思えない。

やっている最中はそうじゃなかった、と思う。
考えて考えて工夫して工夫して精一杯努力してるんだー!、と思いながらやっていたと思う。
だけど最後に出来上がる棚の形は、やっぱり、どうしても、自分。って感じだった。
なんかいっつも「もう一息」って感じで。
「もうちょっといい感じになるはずだったのでは…」と想定した画と目の前の物質とのギャップに悩む。
で、気づくのだ、あれだけ悶々と巡り悩んでいたのは、自分を過大評価して認識してたためなんだ、と。


自分の出来ること出来ないことを冷静に見極めることは非常に大切だが、難しい。
出来ること出来ないことだけでなく、感性、嗜好、理想とかいう微妙な部分まで客観的に「自分の範囲」を認識するのは難しすぎる。
でもそこが限度だし、出発点なのだ。
ここを見誤っていては、きっと最初の時点で躓いていることと変わらない。

自分の現在の立ち位置。
そこをまっさらな目線で見据えることから逃げていては、想定範囲と等しい「いい感じ」を得ることはできない。
自分が持っているものは持ちたいものとどう違うのか。どれだけかけ離れているのか。それを獲得するためにはどれくらいの手続きが必要なのか。
ほんとに、よく頭とからだを回さなきゃいけない。

もしかしたら、
それは持っていなくてもよかったものなのかもしれないし、
すでに持ってたものかもしれない、
と気づいたりする、かもしれない。
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