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手作りする問答。

2005/12/05 [Mon] 19:54
今年一月から月替わりで飾っていた、「そば打ち松林」の飾り棚ディスプレイ、12月分更新終了しました。
これで12回、作り終えたぞ。
やったった。


最後の棚は手作りのツリー。
随分昔に雑誌で見て、いつか作りたかった物をこの機会に作らせてもらった。けども。
む、難しい。
作るのって大変。

今回は、10月の飾りの時に利用したドライフラワーの卸し問屋さんに再びお世話になった。
そこの社長さんらしきおじさんにまたお会いできたのでご挨拶すると
「あなたは、作る人なん?」と訊かれた。
「はい、ちょっと、作ってみよっかなあと思ったんで、また材料探しに来ました」
「そう。欲が出てきたね」
ちっちゃいラジカセから802が流れる中クリスマスオーナメントらしきもの(後で、阪急に卸す物だと教えてくれた)をひたすら作成しつつ、そう社長はおっしゃった。もう、クリスマス用はかなり捌けてしもうてあんまりないけど、と付け加え。

欲。
欲、ねえ。
そうなんかねえ。

とは言えず仕舞いだったけど、そのセリフが妙にカッコよく響いたので
いまだに覚えている。

この社長は「欲」の通り道を知ってるんだな、きっと。


確かに、作っている時の高揚感はなかなか面白い。
目指すゴールを思い描きながら手を動かす、只管に。
それだけがゴールへ到達する唯一つの方法であるのだと打ちのめされながら、形が出来上がってゆく時間を過ごすのはとても、なんというか、「その時だけ」だから。
「掛け替えのない時」ってことだろうか。
だからこそ、思い通りに出来無かったり失敗したりするとこの上なく悔しく憤ってしまうんだけれど、
形が出来上がったときの嬉しさそのものは、ものすごく、いいと思う。
無かったものが出現する嬉しさ。
「いないいないばー」の面白さに似てるのかもしれない。

「なんやそんなことでえらいたいそうなこと言いおって」
というご意見もわからんでもない。
でも、情緒の幼稚さトップクラスの私としては、これは見逃せない順繰りなんだと直感した。
そんで。
こういう原初的な嬉しさを追い求めて進むことは、実はちょっと難しいことだ。
自我意識社会観念他者評価価値意味資源歴史なーどなどと切っても切り離せない4次元存在の「私」にとって、「嬉しさ」はどんな時も「嬉しさ単体」でやってきてはくれない。「私」はいつも、他の何かと化学反応した姿の「嬉しさ」にしか出合うことができない。「嬉しいなあ!」と喜ぶそのとき、脳裏に浮かぶビジョンが化学反応の媒介役だ。
なので。
そのビジョンが「自分」である嬉しさ、は
厳密な意味では存在しないかもしれない。
「自分×嬉しい=嬉しい」なんてことは有り得ないのかもしれない。

いやこれも、いつもの大風呂敷与太話だけど。つづけてみよう。

「自分×嬉しい」ということは、
自分に喜ばしいことといったら、
やっぱりそれは、
「生命」ってことなんじゃないだろうか。
「生きて行きたい」という欲そのもの、なんじゃないだろうか。

私、生きてて、嬉しいなあ。

って思うときっていつ?そんな問いを追い求めていく私をさらに詰問して畳み掛けなくてもすんなりと「嬉しさ」を単体で得られる方法は?

こういう「問いかけ」自体が生きている証だ、と言い切りおった人が昔々いた気がする…おお、そうか。

やりたいことをやる。
これだね。

そうかもしれない。社長の言った通りかもしれない。違うかもしれない。もっと道はあるかもしれない。でも私はここにしかいないので。
そうなのかもしれない。
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